
太平洋戦争末期の1945年4月、米軍は首里にある日本軍司令部をめざし、沖縄本島に上陸を始めました。この時、いまの中高生にあたる男子学生は通信兵や斬り込み要員として、ひめゆり学徒隊のような女学生は補助看護婦として動員されました。米軍の攻撃を受けた日本軍は本島南部に逃れるも敗北。6月には牛島司令官が自決。7月に米軍が戦闘終了を告げるまで、沖縄にはおびただしい数の犠牲者が出ました。

沖縄戦の戦没者数は日本兵約6万6,000人、沖縄出身の兵士約2万8,000人、米兵約1万2,000人、一般住民約9万4,000人とされています。住民のなかには米軍をおそれて集団自決をはかる人もいたと伝えられます。また沖縄戦の前哨戦として行われた1944年10月10日の空襲では、旧那覇市街の90%が焼失しました。琉球王国の貴重な遺産であった首里城も、米軍上陸後の激しい戦闘によって失われています。